痛い一日
午前0時,実家に帰宅。高校時代の友人と会食。
適当に飲めばいいのに調子に乗って飲み過ぎる。
意識がはっきりしている分明確に「あ,これ気持ち悪い、これは吐く」と自覚して4時過ぎからトイレに通勤。
親から「丈夫じゃないんだから」と心配をかけられる。痛い。
仕事。なんとか集中切らさず終える。しかし大事なプリントが手元にない。必死に探しながら現実逃避してしまい、口から飛び出るTommy february6。どん引き部下。
Tommy February6 - Je T'aime Je T'aime ジュテー ...
Tommy February 6 - Subtitulos (traducción) Español ...
ちなみに大して好きでもありません。なぜかわかりません。
チリペッパーライト
前の仕事がうまくいかなくて,確か人が居ないから店舗を変わってくれ,と当時の専務に言われたあたりだったと思う。
もう少しさかのぼると,就職活動しないで大学卒業ころ,教採だけ受けるためぶらぶらしたあげく,学科だけ受かってもだめだなと痛感(今思えば本当に学校の先生なんてならなくて良かった。あんな聖職に僕がつけるわけがない)した。親に迷惑だし,とっとと実家に帰って仕事探そうと(1月かな?),最後の就職セミナーだよ,とハローワークのおっさんに言われて参加した中で,一つだけ知っている店に「何でもしますから入れてください」って頭下げて入れてもらった職場だった。
とにかくものが飛んでこようが,勤務時間めちゃくちゃだろうが,「これが仕事っていうものだ」と思って毎日働いてた。月6日休みで4日はほかのお店を見て回ったり,秋葉原の展示見たり,それはそれで楽しかった。お金を貯めようとか何にも考えてなかったな。
優秀な人からどんどんやめてしまって,どうしたもんかなこれ,何ができるんだろうと思ってたときに,あのときADSLに変えた直後だったかな(BByahooとか開いて,わーってはしゃいでた),リーダーなんてなかった(と思う)時代に,中田英寿のブログとか毎日見に行っては夜まで何か新しいものをみたいと文字通りブラウズしてたときに,某アコーディオン奏者のブログで,相当自分が救われた気持ちになった。
あれから(たまたま検索したらまだ残っていた)13年ですか。職も変わっても,また同じように,どうしたもんかなこれ,な状況だと思う。
『既成概念を疑わなかったら自分が創りたいものを創れないまま終わってしまう』
はい,また胸に刻みます。ありがとうcoba。
まさに写真は本文と関係ありません。という見本。
明日健康診断で空き腹なので,終わって食べたいものを挙げて,寝る。
おいおいおいおい
前回のは,将棋も環境問題も,意見したけりゃ勉強しないとね,というブログなんだが,これがわからない御仁がいるらしい。ちょっと辟易した。
渋谷で映画見てラーメン食べる。ちょっと有名店行こうと思ったが,結構くたびれて(飲みながら見ていたので相当眠い)一蘭に行く。
相変わらず強気の価格設定に思う。
あと熱心に接客しています感が,ここ2年ほどだろうか出ているように思う。そういう風だったかなあ。
新しいシステムだ!パラダイムシフトだ!とか言って(一蘭がそういうことを言っていたかは知りません),やってることは顧客重視の真心接客,となるとまあ割と行き着くところに行ったのかなと。
真心込めるって最近難しいと思う。どうしても自分の判断で「真心込めてます」「あなたのためにやってみました」となるから本当に相手のためになってるのか考えて身体が動かない時がある。
考えてやってみたから,よかれと思ってくれ,ですむ世の中じゃないから?それも昔から?
また明日もこれを考えて寝ます。
学んだこと。
「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」(徒然草第五十二段)。いや兼好法師いいこと言う。
将棋の上達をしたい,となったら「まあまずは一局」となる。上達の本はあれど,見ていたらやりたくなる,というどうしようもない下手の本性をよく表していると思う。
ちょっとやっては負け,ちょっとやっては勝ち。最後に勝ちになればまあ何よりでも。やっぱり上手は下手と同じくらいこの世にいっぱい居る。
劇的に成長するなんてことはないだろうけど,上達の姿勢を持ち続けないとね。
あまり人気のない峰書の駒。なんとなくくにゃくにゃしているのが自分だ,これは自分のことだ,と感激して探して分けてもらった。相当痛い出費だったけど,まあこれも勉強でしょうか。
夜は3年ぶりくらいに映画(パンドラの約束)を見た。
正直原発は稼働すればいいじゃない?ぐらいに思っていたのが,途中から目が覚めた(ちょっと最初寝てしまった)。
とにかくみんな勉強するわ。自分の意見を変える時でもよく勉強してこれだ,と決めてる。
自分にないものをいろいろ見せてもらう,尊敬するばかりの1日だった。
これはびびった。そしておもった。ちょっとの放射線量の差なんてかんけいないじゃんと。
彼我の差
(棋譜を見やすい将棋盤で表示するために,Fireworks さんが作成されたアニメーション付棋譜再現プレーヤー 「フラ盤」を使用させていただいています.)
教えている相手に何度か(将棋ではない),自分とその道のトップとの差を知ることが知性,その差に我慢できるかどうかがプライドだと話したことがある。誰かの言葉だったと思う。
もう人生の半分をすぎたかな~と思っている自分にとって,その道のトップがどんなもんか,きっと残り人生でわかることもないだろうし,だからその差もへったくれもなくって,プライドなんてものは,このガリガリにとって必要不可欠だったんじゃないかという脂肪分とともにどこかに行ってしまったように思う。
何で生きてるのか何ともわからないなあと思っているときに,何となく生きてるなあと実感できるものは何だろうと思った先に将棋があったわけで。
どう考えても自分とその道のトップとの差なんて,将棋一つとってもわかるもんじゃない,と実感する。
しかしまあ,こうして細々と指していくたびに,なんとか一生この娯楽とつきあっていけるんじゃないかと思う。トップとの差なんかでなく,ただこの先の自分や新しい対局を見たい知りたいわかりたいということが,何となくでも生きている楽しみである。
どう考えても某ピンクのクマブログより使いやすいのでこちらから続きを綴って行こうと思う。超個人的かつへぼ将棋の連続だと思うので,頻度も低めで。