安いつくり。
一応人にものを教えるという立場でお給料をもらうようになって、塾でも
やってたから結構な年数たった。
そういう人のうち、「自分が教えることに自信あるよ」という人って
どのくらいなんだろう。
もうちょっと人に言えないようなひどい授業したこともあるし、
指導に関してクレームがなかったわけでもない。もちろん少ないけど、
こういうのは不祥事と一緒で、ゼロです。であたりまえにならないとなと
思う分、失敗を思い出せばいたたまれない気持ちになるし、それが受験の
失敗とかいう結果として跳ね返ると、もう、一言で、いうと、つらい。
自分が受験をしている立場にもう一度立ってみると、いかに「わらをも
つかみたがる」か、よくわかる。某匿名掲示板を日がな一日眺めて、
どうしようもない議論にもなってないもの見てうんざりしたり、「~と
言われたらアウト」とか、よくここまで根拠薄弱なもん書くなぁと思ったり、
それでも、もしかしたらなにか突破の糸口が、糸くずでもいいから見つかるかも
と見聞きしたがるもんだなと、そんなこと思った。
まあこの辺はまた整理して書ける機会があれば書こうと思う。
最初に担任した生徒を落としたりして号泣したり(親が死んでもあんなに
泣かないだろうなと思う。それだけ年を取った)、生徒に乱暴されたり、
面倒をかけられても、もうちょっとやってみよう、とか一生の仕事に
しよう、とか今のところ思っていられるのは、たぶん時間がたつと
記憶ってものはよいことが残っていくようにできているんだと感じている。
他の同僚に、「よほど非常勤してた中学校がよかったんですよ」と言われて、
まあそうかも、と思ったけど、それだけでもないとも思った。
結局都合の悪いことだったり、しんどかったりしたことが、だんだんと、
しかも年取って確実にあっさり素早く忘れていくように思う。
ひとは楽しかった思い出だけが残るってほんとうだな、と実感する。
それが苦しい(いまがつらいから)という人もいるんだろうということも
感じつつ、まあそういうつらいのは、すぐ忘れられるようになったのが
年取ってよかったなと思える唯一のことだ。結局かっちり出来事を
整理できないつくりが、自分を助けているように思った。